当ブログ運営者 くらうん について

ごあいさつ

 こんにちは、くらうんです。当ブログをご覧いただきありがとうございます。子供のころから始めた海水魚飼育。飼育歴は30年ほどになりました。思い返せば色々なことがありました。色々な魚を飼いました。色々な飼育用品を買いました。色々な出会いがありました。多数の失敗も重ねました。今はサラリーマンをしながら海水魚飼育を楽しんでいます。30年たっても飽きることがない、それどころか今が一番楽しい時期!!そんな素晴らしい海水魚飼育という趣味をみなさんと共有できれば・・という想いでブログをはじめました。ブログ投稿を通じてみなさんのお役に立てるよう、みなさんのお手元に居る魚さんがイキイキと過ごせるよう、努力いたします。どうぞよろしくお願いいたします。

起源(おおげさ・・・)

 両親が熱帯魚を飼育し始めたことが一番最初のきっかけだったでしょうか。当時は熱帯魚ブーム。両親はデパートやペットショップなどで綺麗な熱帯魚を目にして飼いたくなったとの事でした。そこで両親は、かの有名な(謎) ニッソー ルームメイト901で飼育を開始しました。ネオンテトラやグッピーなど綺麗で優雅な熱帯魚にわたしはくぎずけでした(余談ですがこのルームメイト901は当時一世を風靡した大傑作。曲げガラスを用いた美しいデザイン、しかもどこの家庭でも置けるコンパクトサイズ。フィルター、照明、ヒーターなどが目に付かないように背面に配置されたスマートなオールインワン水槽)。これがわたしの魚を飼育する経験の原点となりました。

海水魚との出会い

 数年の間、ぼちぼちと熱帯魚を飼育していた両親は海水魚に興味を持ちます。その理由はこれまた定番ですが、熱帯魚にはない、コバルトスズメ(ルリスズメダイ)の目の覚めるような青さに魅了され海水魚を飼いたい!と思ったことだそうです。そうして両親は海水魚飼育を始めます。その設備は絵にかいたような初心者セットで、確か20リットルくらいの水量のアクリル水槽。餌はコバルトスズメの口のサイズに合わないクリルのみ。濾過はエアリフト式の底面フィルター。そして初めて作る海水濃度はもちろんアバウト。今思えば無謀でめちゃくちゃな飼育スタイルですが、素人の初めての飼育ってそんなもんだよなぁと思うところです。そんな海水魚飼育のスタートでしたが、水槽を泳ぐ真っ青なコバルトスズメはそれはそれは美しく、わたしの心を動かしました。

挫折と執念

 そんな初心者セットの海水魚飼育はうまくいきませんでした。水は汚れ、魚同士は喧嘩が絶えず、ほどなく全滅に至ります。大人である両親はすぐに理解しました。「海水魚は飼育が難しい、無理だ」。これは大変正しい判断です。一方で子供のわたしは物わかりが悪く「海水魚が飼えるようになりたい、飼えるようにしたい」と諦めませんでした。

子供時代の海水魚飼育

 両親は海水魚飼育は早々に諦め、わたしが海水魚飼育の主体となりました。大人でも難しい海水魚飼育は子供のわたしでうまくいくはずもなく失敗ばかりでした。まず何といっても子供なので何を買うにも両親に買ってもらうしかありません。当たり前ですがお金がないのです。お年玉やおこずかいでは全く話になりません。大きなものは誕生日のプレゼントなどにお願いして、飼育用品を買ってもらっていました。買ってもらえるチャンスは少ないので無駄な買い物は一切許されません。本当に有効で有意義なものを、費用対効果を熟考の上、ほしいものはこれだ!と考えて買ってもらうこととなります。毎日のように海水魚飼育の書籍を読み、商品カタログを熟読し、海水魚飼育のことばかり考えていました。ゲームも漫画もテレビも全然興味を持たず、ひたすら海水魚の本ばかり読んでいたわたしはきっと相当変わり者の子供だったことでしょう。思い出の器具はホームセンターで買ってもらった60cm規格水槽。それとやっとの思いで買ってもらえた海水魚飼育用の上部濾過槽です。

 また、子供には交通の足がありません。大人のように良いショップに出向くこともできず、基本的には自転車で行ける範囲が調達エリアとなります。それと残念なことに子供にまともな接客をしてくれるショップが少なかったのです。海水魚飼育はお金がかかる=お金の持ってない子供は相手にしないよ!というショップが非常に多く、気合を入れて少し遠くまで行っても残念な気持ちになって帰ることも多々ありました。

 こんな経験からわたしは必要な飼育用品を見極めて最小額の投資で最高の飼育ができるように考えることが染みつきました。これは大人になった今でも変わりません。変わった事は自分で稼いだお金で買うようになった事だけです。

 このブログを通じて皆様に伝えたいことそれは、海水魚飼育に年齢は関係なく大変素晴らしい趣味であり、予算の多い少ないを問わず知識と工夫で飼育を楽しめるという事。これは子供時代の経験による私の持論です。必要なものは海水魚を飼育したい気持ちだけです。

転機

 話は逸れましたが、大学生になってアルバイトをして自由に使えるお金が少し出来るようになった事は大きな転機でした。今まで両親に買ってもらう事が唯一の調達手段だったのが自分で稼いで自分で買う。これを出来るようになったのです。それまではあれがあれば・・・、これが買えれば・・・と考えていたものに少しずつ手が届き始めた時期です。そして良質なショップへ出向いて色々教えてもらう事ができるようになった時期でもありました。加えてちょうどこの時期はインターネットが普及して飼育情報の入手が格段に進歩した時代でありました。

オーバーフロー水槽を作る

 そうして夢だった90cmオーバーフロー水槽を作成しました。大学生の短時間アルバイトで稼いだお金は少額のため市販のカッコいいオーバフロー水槽は買えませんが、中古、ヤフオク、DIYを駆使して超ローコストでオーバーフロー水槽を作りました。この作業がとにかく楽しかった。機材を選定して調達する作業、既存の機材は活かして将来構想を練る作業、水の流れを計算して濾過槽を設計する作業、安全な配管を考える作業、立体感のあるレイアウト、明るい照明、今までやりたかったけどできなかった多くの事を考えて、自分の理想を盛り込んで自分だけのオーバーフロー水槽が出来上がりました。これからこの水槽で広がるドラマを考えるとワクワクが止まりませんでした。

オーバーフロー水槽時代

 オーバーフロー水槽での飼育は、それまではうまく飼えなかった生態を長期飼育ができるようになりました。余裕のある水量、大きなフィルター、広いスペース。チョウチョウウオが10年以上、カクレクマノミは15年以上生きるなど、超長期飼育ができるようになりました。濾過槽も1回作り替え、抜群の安定感がありました。

東日本大震災、起きる

 そんな中、東日本大震災が起きました。幸いな事に水槽は無傷、わずかに水がこぼれた程度でぼぼノーダメージでした。しかし震災をきっかけに約200L近くの水槽に万一の漏水事故があったら…と考える様になりました。水槽が災害時のリスクになってしまう…。大きな水槽は飼育環境としては優れているけど、災害時の事を考えると…。この頃わたしも既に社会人。自分の趣味は責任を持って行わないと。と思う様になりました。

コンパクト水槽にシフト

 数年間、水槽の危機管理について悩み、魚の数が減ったところでコンパクトな水槽にシフトしました。オーバーフロー方式は水を上下に循環するため漏水リスクが高いと判断し、苦渋の決断でオーバーフロー方式は不採用。考え抜いた結果、市販の約60Lサイドフロー水槽を購入しました。水量の少なさもさることながら、海水を水槽の外に循環しない為漏水リスクがほぼない設計は非常に安心感があるものでした。また、人工海水も水質調整剤もポンプなどの機材も全てがコンパクトで、コストや手入れの手間がかからない点もメリットでした。今でもメインで使用している大変お気に入りの水槽です。

コンパクト水槽二本立て

 コンパクトになって、安心して海水魚ライフを満喫していましたが、そんなわたしに新たな欲がフツフツと湧いてきます。サンゴ飼いたい欲求です。コンパクトな分、水槽2本にしちゃう?しちゃう?はい!2本立てにしちゃいました!という流れで同じサイドフロー水槽が2本になりました。

サンゴの飼育をはじめる

 そうして大胆にもたった70L弱の水槽で、最も難しいと言われるミドリイシの飼育を開始しました。このミドリイシの飼育がそれなりに上手くいって一時期ミドリイシに溢れるそれはそれは見事な(自分で言うな)水景が出来、大満足していました。ミドリイシ水槽と、海水魚水槽の2本立て。小さい水槽を複数回すのが自分に1番合ってると思いました。

時は流れ

 時は流れ、サンゴもいなくなってしまい、15年飼った重鎮カクレクマノミも亡くなり水槽のメンバーは少なくなってしまったタイミングで、前からのチャレンジしたかったクマノミの繁殖に挑戦する事を決断。新たにぺルクラのペアを迎え、クマノミ繁殖に奮闘する今に至ります。

 つい、熱く語ってしまいメチャクチャ長くなりました。ここまで読んで下さりありがとうございます。わたしの海水魚飼育はまだまだ発展途上です。皆さんと一緒に飼育を楽しめれば嬉しいです。よろしくお願いします。

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